なぜだかは分からない。
小さい時から「自分はこの家の本当の子どもじゃないんだ」と思って育ってきた。
そういうことを想像することは子ども時代のあるあるかもしれないが、自分の場合はかなり根強く確信に近い気持ちだった。
だから両親にはなるだけ自分にお金をかけてもらいたくなかった。
だってそれは「借り」だから。
いずれ返さなければならない「借金」だから。
中学時代、英語の個人塾に行かされた時も月謝代が8,000円と知り、
2回目の授業の日に早めに先生の自宅へ行き
「ごめんなさい、月謝3000円くらいだと思ってたら8000円だと聞いて。そんな高いなら辞めます。だから悪いんだけど、1回分引いてもいいから月謝代返してください」
と直談判して、月謝代を返してもらったこともあった。
もちろん高校は公立。
部活も道具やユニフォームなどにお金のかからない、学校のジャージで出来るハンドボール部を選んだ。
卒業後の進路を決めないといけなくなった時が一番困った。
自分は大金を払ってまで大学に行って学びたいような事もなかったので、大学進学はまったく考えていなかった。
進路相談の際、
「給料をもらいながら、いろいろな免許を取得できるという自衛隊に入ろうかなって」 と担任に話したら、信じられないくらい反対された。
「俺の生徒を自衛隊には絶対に入れない。考え直せ。」
と意味不明な個人的見解を押し付けられ、
「他にやりたいことはないのか」
と聞かれたので
「劇団に入るのも良いかなと思ったり」
と答えると
「そんな夢みたいな事を言ってる場合か。卒業はすぐそこまで来てるんだぞ」
と叱られた。
結局、親も呼ばれた三者面談となり、自分以外の大人の意見で大学進学を目指すことに決められた。
その時も
「あ~あ、これでまた借金が増えちまった」
と、いらない高いものを知り合いに無理やり勧められ、断り切れずに買わされてしまったような気分だった。
でもそこで強く反発せず大学進学を受け入れたのも、特にやりたいことがない現状ということもあるが、養父母(両親)が望んでるんだから養父母(両親)の体面を保つためには必要な経費なのかもしれないという冷めた考えの方が強かったと思う。
そして、某大学の教育学部に現役で合格した。
あの時期から受験勉強を始めて、いくら偏差値低めの大学とは言え現役合格できたのは、決して頭が良いからではなく、
「絶対に浪人はしない。浪人したらまた借金が増えるだけ。レベル低くても絶対に現役合格あるのみ!」
の意気込みで頑張ったからに他ならない。
大学はつまらなかった。
国語の教師になるのも良いかなと教育学部に入ったのに、国語の教師になるには国文科じゃなきゃいけなかったことを入学してから知った。
教育学部で教師になれるのは社会科か保健体育か初等教育だけだと言われ、いまさら学部変更の試験を受けるほどのやる気もなく、大学に行く意味を見出せずにいた2年の夏に祖母が亡くなった。
祖母の葬儀やら四十九日やらが終わって一段落したときに、両親に 「大学、辞めたいんだけど」 と打ち明けると、すんなりOKが出た。
両親は両親で「息子を大学に入れる」という祖母への体面があったのだとその時知った。
それからの人生、紆余曲折はありながらも、両親からのお金の援助はなくても(実家に住まわせてもらってはいるがその分のお金は入れている)なんとか自分の事は自分で養えている。
いまだに両親から
「実はお前は私たちの本当の子ではないんだよ」
という告白はない。ないまま父はこの世を去った。残された母も告白しそうな気配はない。
告白されたら、今まで育ててもらった際にかかったであろう費用を返そうと覚悟はしているのだが、告白されないから返すタイミングもない。
このままだと借金を踏み倒してしまいそうだが、それでいいのだろうか。