かながわ県のやながわさん

YouTubeで「かながわ県のやながわさん」というカラオケ動画のチャンネルをやってます。歌うことも書くことも好きなので、好きなことはどんどんやってみようとブログも始めてみました。良ければお付き合い下さい。

まさかの坂

人生には上り坂と下り坂、そしてまさかという坂があるという。

今日からの那覇旅行は2月に予約して首を長くして待っていた今年初めての那覇だ。
海開きの日程の発表を待ってすぐに予約した。
やっぱり泳げる沖縄と泳げない沖縄では楽しさが桁違いだ。

そう書くと、シュノーケリングとかダイビングとかガンガンやりそうに思うだろうが、自分はまるっきしのカナヅチだ。
水が怖い。
胸まで水が来たらもうダメだ。
そそくさと砂浜に戻る。
多分、前世は溺死したんだろうと思ってる。

波打ち際でちゃぷちゃぷ
これが俺の、いちばんの海の楽しみ方だ。
そして片手にはビール。これだけは外せない。
青い空、青い海、白い砂浜、そしてオリオンビール
これぞ「ザ・沖縄」だ。

さて、出発を翌日に控えた昨日の夜。
ANAのアプリを確認すると、予約一覧に明日の便が出て来ない。

5月から7月にかけての3回分は予約一覧に出て来るのに、明日の便だけが出て来ない。
変だなぁ。
これでは事前チェックインが出来ないじゃないか、とANAの「問い合わせ」に電話した。

オペレーターに繋がるまで30分くらい待たされたが、辛抱強く待った。

ようやくオペレーターに繋がり、用件を伝えると
「ヤナガワ様のお名前で明日からのご予約は入ってないようです」
という。

んなバカな。
だって俺は予約した時に「予約完了」の画面をスクショしてあるんだから。

するとオペレーターが
「キャンセル履歴に同じ日程の那覇往復がございます。支払い期限までにご入金がなかったために自動キャンセルになったようです」
と言う。

受話器を片手にポカ~ンと口を開けて何も言えなくなってしまった・・・

予約だけしてクレジットカード決済の手続きを忘れてたんだ。
そういえば同じ日にコンサートチケットも予約して、そっちはカード決済したのを覚えてる。
それとこれとかごっちゃになって、すっかり両方とも決済した気分になってしまってたのか・・・


けれど、である。
今回の那覇旅行は「あ、そうですか」で済ませることが出来ない事情があるのだ。

実は古い友人から、
「今までの職場を辞めて、次の仕事に就くまでに時間があるから、久しぶりに東京辺りで会わないか」
という誘いが、グループLINEで俺ともう一人の友人に届いた。

もう一人の友人が
「4月の第3週の週末なら大丈夫」
と送って来た。
それ以外は予定があってダメだと。

なので俺は正直に
「申し訳ない。その週は那覇旅行を入れちゃったから俺はムリだ。残念だけど2人で楽しんで。」
と返した。

すると
「どうせヤナガワは一人旅だろ。じゃあ俺たちも行って那覇で会おうぜ」
とまさかの展開に。

という前段階があるので、2人を那覇に呼び寄せた感じになってしまった張本人が
「支払を忘れてて飛行機に乗れませんでした。てへっ」
では済まされないのだ。

電話口のオペレーターに、すがりつく勢いで
「すみませんっ!明日からの那覇の便、なんとかなりませんか!?」
と頼み込んだ。

「お調べ致しますので少々お待ち下さい」
と調べてもらっている間の保留音を、ずっとそわそわ歩きながら聞いていた。

これで俺が行かなかったら信用問題に関わるよなぁ。
長年の友情にもヒビが入りかねない。
だいたい、今回話しを持ちかけてきた転職する友人は暑いのが大嫌いで、本当は沖縄になんか行きたくないんだろうということも分かっていた。
それでも来ると言ってるのに・・・

「ヤナガワ様、お待たせ致しました」
待ちに待ったオペレーターさんの声。
「いえいえ。で、どうですか?取れましたか?」
食い気味に聞く俺。

「行きの便はご希望の便が取れました。ただ帰りの便が朝の8時の便しか空いてないんです」

あー良かったぁ~
俺はヘナヘナと座り込んだ。
帰りの便なんてどうでもいい。
いくらでも早起きしますとも。

モタモタして誰かに席を取られてはいけない。
「すぐに押さえて下さい!」
と頼み込んだ。

そして今、コレを飛行機の中で書いている。
なんとか無事に搭乗出来て、なんとか友情も維持出来そうだ。

しかし空港に着くまでにもハプニングがあった。
出先から羽田空港に向かったので、何十年かぶりにモノレールを使った。
一つ目の駅が「第3ターミナル駅」で、二つ目の駅が「第1ターミナル駅」だった。
俺は第2ターミナル駅に行きたかったのになぁーと思いながら仕方なく「第1ターミナル駅」で降りた。
第2ターミナルには歩いて行くしかないようだ。

改札を出ると切符売り場の付近に暇そうな駅員が立っていたので
「第2ターミナル駅は通過されちゃうんですね」と話しかけてみたら
「終点が第2ターミナル駅です」
という。
第3、第1と来て、その後にまさか第2が来るなんて誰が想像する?
東京モノレールさん、乗車中にもう少し丁寧なアナウンスがあっても良いんじゃね?
などと不満を抱いてしまうが、そんなのは贅沢な不満だ。

しかもこの飛行機、乗ってみたらまさかのガラガラ。
昨夜あんなにオペレーターさんに
「ありがとう!ありがとう!」
と頭を下げたのが損した気分になるのも贅沢な不満。

喉元過ぎれば熱さ忘れる。

こんな性格だから、きっとこれからの人生にもたくさんの「まさかの坂」が待ち構えていることだろう。

花粉症と飛行機の因果関係

自分は花粉症ではない。

鼻水は出るし、くしゃみも出るし、目もかゆいし、声の調子も悪いし、花粉症の市販薬も毎日飲んでるけど花粉症だとは認めていない。医者から診断されたわけではない。予防のために飲んでるだけだ。こういうのは認めたら負けなのだ。

 

花粉症の時期に飛行機に乗ったときのことだ。

突然、機内で今まで味わったことのない、ものすごい頭痛に襲われた。

 

耳抜きがうまく出来てないんだと気付き、唾を何度も飲み込んだり、飴を舐めたり、あくびも出ないのに口をパクパクしてみても、なんら改善が見られない。

初めての事にどうしていいのか分からず、通りかかった客室乗務員を呼び止めて症状を伝え

「なにか良い改善方法はないか」

と尋ねた。

飛行機に乗り慣れてる客室乗務員ならこういう時の対処法に詳しいだろうし、飛行機には耳抜き改善の特効薬とか置いてあるのではないかと期待して。

 

「少々お待ちください」

と言って一旦立ち去った客室乗務員は、紙コップを片手に戻って来た。

良かった、薬を持って来てくれたんだ。

さすが日本の航空会社は世界でも指折りのサービスだというだけのことはある。

 

「お湯でございます。お熱いので気を付けてください。」

はいはい。お湯で飲むわけね。

次に差し出されるであろう薬を待っている俺に、客室乗務員が言った。

「耳に当てると少し楽になるかもしれないです」

 

は?

耳に当てる?紙コップのお湯を?

 

「はあ・・・」

納得できない顔で答える俺に、

「あと、よろしかったら」

と言いながら客室乗務員はエプロンのポケットに手を入れる。

なんだぁ持って来てんじゃん、クスリ。

もったいぶらずに早くくれればいいのに。

 

しかし差し出されたモノを見て唖然。

なんとそれは、飛行機の入口に「ご自由にお取りください」と常備してある飴玉だった。

 

「お舐めになると効果があるかもしれません」

あのさぁ、飴はさっきから舐めてんの。

お口パクパクもさんざんやってんの。

それでもダメだから助けてって言ってんの。

 

しびれを切らした俺は

「あの。。。こういう時に効く薬とかはないんですか?」

とこっちから尋ねた。

 

すると、まるでそう言われるのを見越していたかのように

「お薬に関してはどのようなお薬であっても、お客様には提供できない決まりになっておりまして」

と滑舌良く断られてしまった。

 

そして、

「もしかしてお客様、花粉症でございますか?」

と尋ねられた。

 

認めたら負けだと思ってる自分でも、この時ばかりは、認めればなんらかの改善方法があるのかもしれない、と藁にも縋る思いで

「はい、花粉症です。薬、飲んでます。」

と答えると

「この時期、花粉症の症状が重い方はときどきお客様と同じような症状になることがあるんです」

という。

そんなことは良いから対処法を言ってくれと次の言葉を待っていると

「また何かございましたら、いつでもお呼びください」

と言って去って行った。

 

・・・認め損

 

しかも

「今は上空を飛んでおりますが、これから飛行場に近づいて飛行機が下降し始めると、もしかしたらもっとお辛いかもしれません」

と余計な情報まで残して。

 

・・・この痛みはまだ序の口

 

暗示にかかりやすい性格もあるのかもしれないが、下降し始めたら本当に頭がさらに痛くなり、脳が破裂するんじゃないかと思うほどの苦しみだった。

 

やがて飛行機は着陸し、乗客が順番に降り始めている。

割れそうな頭を抱えつつ、重い足取りで出口に向かい、出口まであと3メートルという所まで来たら

「パンっ!」

といきなり頭の中(耳の奥?)で大きな破裂音がして、嘘のようにスーっと頭痛が消えていった。

脳内出血でもしたのかと思ったが、詰まっていた空気が耳から抜ける音だったようだ。

へえ、こうやって治るもんなんだぁと、感心した。

 

そして、その一か月後にまた飛行機に乗った。

前回と同じ轍は踏まないように、ペットボトルの水、飴、ガム、点鼻薬を機内に持ち込んで万全を期した。

 

飛行機は離陸の時が眠るにはいいタイミングなので、イヤフォンをして音楽を聴きながら眠る態勢に入った。

出発前のロビーでビールも飲んだので飛行機の揺れが心地よく、いい感じで眠くなり飛行機が雲を抜ける頃には眠りに落ちていた。

 

しばらくして目を覚ますと、何か視界がおかしい。

右目が見えてないんだということに気付くまでに少し時間がかかった。

 

なんだ、なんだ、なんだこれは!

 

何度も瞬きをして、首を前後左右に振ったりしていると、徐々に視界が戻ってきた。

頭痛も目の痛みも何もなく、ただ瞬間的に視界を失っていただけのようだ。

なんだったんだ今のは?と驚いたものの、すぐに忘れ去ってしまった。

 

そしてまたその1か月後に飛行機に乗った。

そしていつものように離陸と同時に眠りに落ち、目を覚ますと、なんと今度は両目の視力を失っていた。

これには焦った。

目を開けているはずなのに、目の前は真っ暗なままだ。

何度まばたきしても視力は戻らない。

多分、時間にすれば3分くらいだったのだろうが、やがて右目の右側からジワーっと白く明るくなってきてそれが全体に広がり、同じように左目も明るさが戻ってきてやがて元の視界に戻った。

心底ホッとした。

目が見える有難さを痛感して目が潤んでしまった。

 

しかしこうも続くといささか怖くなり、自宅に戻ってから眼科へ行き、すべての検査をしてもらったが、どこにも異常がみられないとのことだった。

症状は出るのに異常がない、というのがなんとも怖い。

 

それからは自分なりに考えて

もしかしたら三半規管が弱ってるのかもしれないから、機内でイヤフォンをするのはやめよう。

飛行機に乗る前のビールもやめよう。

花粉症の薬は必ず飲んでから搭乗しよう。

と決めた。

 

それからは今のところ飛行機に乗っても症状は出ていないが、今こうして書いていて気付いたことがある。

いつも行きの飛行機の中で症状が出るが、帰りの便では出たことがない。

そこに何かしらヒントがあるのだろうか?

だとしたら花粉症は関係ないのか?

 

いや、違う。

行先はたしかいつも沖縄だった。

沖縄には花粉症がないと聞く。

沖縄に滞在している期間に花粉症の症状が緩和され、緩和された状態で飛行機に乗るから帰りには症状が出なかっただけかもしれない。

 

謎は解明されないまま、明日から俺の沖縄旅行ラッシュが始まる。

今まで以上の緊急事態が起きない事を願うばかりだ。

ユタのお告げ

ユタという存在をご存じだろうか?

 

沖縄県と鹿児島県奄美群島の民間霊媒師(シャーマン)であり、霊的問題や生活の中の問題点をアドバイス・解決を生業とする方で、主に女性(まれに男性)に多い。

以上、Wikipediaより。

 

沖縄でユタに見てもらった時のことを話そうと思う。

 

その人は全国的にかなり有名な方で、何か月先までも予約で埋まっているような方だった。

住所と名前(たしか苗字だけだった)を記入して、そのユタさんの前に座るとじっと俺の顔(顔を通り越してその後ろという気もしたが・・・)を見つめたかと思うと、

開口一番、

「あなた、車の運転はするの?」

と聞かれた。

 

「はい」と答えた。

通勤も車だし、仕事がら一日に何度も社用車で走り回っている。

「ん~~・・・どうしても運転しなきゃダメ?仕事にならない?」

と聞かれ

「はい。運転しないと仕事になりません」

と答えると

「そっかぁ、ダメかぁ。。。これから春過ぎまで危ないんだよなぁ・・・」

と独り言のようにつぶやく。

 

「え?運転がですか?事故の危険があるってことですか?」

と聞くと

「う~ん。。。まぁ仕方ないかぁ・・・。」

と明言は避け、

「じゃあね、地元に帰ったらすぐに交通安全で有名な神社に行って、お守りをいただくとか、出来たらお祓いをしてもらうとか、とにかく帰ったらすぐに行きなさい。絶対にだよ。すぐにだよ。分かったかな?」

と念を押された。

 

数えきれないくらいある長所(笑)の一つが「素直さ」である俺は、旅から帰った翌日に、地元の交通安全で有名なお寺に車を走らせた。

ものすごい山深い場所にある霊験あらたかなそのお寺の、一番てっぺんにある奥の院までお参りし、帰りにお守りをいただいて来た。

 

その2日後。

テニスをしていたらアキレス腱が切れた。

右脚のアキレス腱を。

医者曰く「スパっと綺麗に」切った。

 

右脚をやられてしまうと、車の運転は絶対に出来ない。

通勤ができないので仕事も休職。

コロナ渦だったせいもあるのか、医者は手術をしたがらず

「あなたもいい年齢だし、アスリートを目指してるわけじゃないんだから自然治癒で良いでしょ。」

と手術しない方針を告げられた。

なんでも、手術してもしなくても完治までに1か月程度しか変わらないのだとか。

 

ギブスが取れ、補装具が取れ、ようやく完治した頃には春が過ぎ梅雨に入っていた。

たかがアキレス腱、されどアキレス腱だ。

松葉杖がないと歩けないことがこんなに大変だなんて、実際に経験してみなければ分からないことだった。

不自由になった自分の生活に気を取られ、ずっと忘れていたのだが再び車の運転も出来るようになった時、ようやく思い出した。

あの時ユタさんに言われた言葉を。

「春過ぎまで車の運転をしない方がいいんだけどなぁ・・・」

 

え?もしかして。

このアキレス腱断裂って、俺に車を運転させないための天のお導きだったとか?

 

「こいつ、放っておいたら絶対に運転するよなぁ・・・」

「車通勤ですしね。間違いなく毎日乗りますね」

「さて、どうしたもんかねぇ」

「病気かケガでもさせますか」

「病気って言ってもなぁ。よほど重い病気でなきゃ運転しちゃうだろうしなぁ・・・」

「あ、こいつ、明後日テニスやるみたいですよ」

「テニスか。お!そりゃ都合がいいや。そん時にアキレス腱でも一丁切ってやるか」

「そいつぁ名案ですね。でも切るのは右脚のアキレス腱ですよ、間違えないで下さいね」

「おーそうだったな。左脚だったら運転しようと思えば出来ちまうからな。いや~久しぶりに腕が鳴るわい」

「どうやって切ります?じわじわ?スパッと?」

「そうだな。まぁ奥の院までこの長い長い階段を上って来た誠意に免じて、今回はスパッの方でいこうかのぉ」

「楽しみですね」

「楽しみじゃな。ワーッハッハ~」

 

そんな神様会議があったかどうかは知る由もないが、晴れて俺は右脚のアキレス腱を切っていただけた事で、そのままの生活をしていたら起こしていたであろう事故を免れることが出来たのではあるまいか?

 

そう考えると、

ユタさんに見てもらったタイミング、

車の運転を春過ぎまでしない方が良いというアドバイス

お参りに行った翌々日に切れたアキレス腱、

否が応でも車の運転が出来なくなった数か月間。

すべてのピースが自分の頭の中でピタっとハマった。

 

そんなのはただの偶然だ、という人もいるだろう。

何を勝手に良い方に考えちゃってんの、と笑う人もいるだろう。

 

でも、自分の中では、ユタさんから助言をもらい、天のご加護で事故から守ってもらえた、と考えるのが一番腑に落ちるし、なにより、普通ならツイてなかったと思うようなアキレス腱断裂も、こう考えることでラッキーなプレゼントと思えて自分がハッピーになる。

 

自分がハッピーになる。

自分にとっては、生きてく上でこれが一番大事なことだ。

家族や他人の幸せを願うのも、日本や世界の平和を祈るのも、まずは自分がハッピーでいなけりゃ、そんなものはただの綺麗ごと、嘘っぱちだと思っている。

笑顔が笑顔を招くように、ハッピーがハッピーを呼び寄せるんだから。

 

あの時あのユタさんに見てもらってなかったら、と想像する。

様々な最悪の場面が浮かんで来て、平凡な毎日を送れている今が、この上なく幸せなんだと思える。

 

「信じるか信じないかは、あなた次第です!」

という決め台詞のテレビ番組があるが、俺はあのユタさんに救われたと信じてる。

 

簡単に人を信じやすくていろいろ騙されることもあるけれど、

「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つく方が良い」

海援隊も歌っているではないか。

 

そして、今週からまた沖縄へ行く。

そろそろまた見てもらいたいが、簡単には見てもらえないだろう。

見る必要がある人、いわゆる「呼ばれる人」でないと、なかなか予約すら入れてもらえないらしいのだ。

火事場の英語力

こう見えてニューヨークに行ったことがある。

セレクトショップを経営している友人が買い付けに行く日程に合わせて、俺も同行させてもらう形での旅行だった。

 

ジョン・F・ケネディ国際空港に着くやいなや、友人は迷いもなくタクシーに乗り込み、行きつけのショップに直行。

同じデザインのTシャツをいろんなサイズでどっさり買い込む。それも何種類も。

自分が良いと思ったものは迷いもなくカートに入れていく。

自分のセンスに自信がなければ出来ない仕事だなぁと感心しながら見ていたら、

ショップの店員から

「こんなに買われちゃ困る。もう少し減らしてくれ」

みたいなことを言われた友人。

しぶしぶ枚数を減らすフリをしながら

「お金渡すから、お前がこの分買ってくれ」

とこっそり渡された。

そんな作戦がまかり通ったのか、バレバレで売ってもらえなかったのか、その辺の事は覚えていない。自分に関係のないことは片っ端から忘れる性質の俺だ。

 

その後も何軒ものショップをはしごして、ほぼ空っぽだった友人のスーツケース2個は買い付けた商品でパンパン。

「もう入らないからお前のスーツケースにも入れてくれ」

と言われ、俺のスーツケースにも詰め込んだので、3つの大型スーツケースが、満杯で蓋を閉めるのがやっと、というくらいに買い込んだ。

 

ようやく初日の買い出しが終わりタクシーでホテルに向かう頃には、俺はもう疲れ切っていた。

もともと洋服にさほど興味のない俺にとって、苦行のような時間がやっと終わったという安堵感と長旅の疲れで、景色を楽しむこともなく心地よく揺れる車内でただただ眠りこけていた。

 

「おい、着いたぞ」

という友人の声で起こされた。

もうホテルに着いたようだ。

眠い目をこすりながら、タクシーのトランクに積んだ自分のスーツケースとリュックを持って、フロントに向かった。

 

チェックインを済ませ部屋に入ると、各々のベッドを決めて、ベッドにダイブした。

あ~~~

糊がパリっときいた清潔なシーツとちょっと固めのスプリングがたまらない。

思い切り伸びをして大きくあくびをすると、さっきの睡魔が再び襲ってくる。

「ちょっと休もうぜ」

と二人ともそのまま眠りに落ちた。

 

ガサゴソという音で目が覚めた。

「ん?いま何時?」

と目をこすりながら友人に聞くと

「おい、俺のスーツケースどこにやった?」

と切羽詰まった声。

「そこにあるじゃん」

と指さすと、

「もう一つの方だよ」

と言う。

 

「お前、ちゃんとスーツケース2個持ってきたか?」

と言うので

「え?俺は自分の分しか持ってきてねえよ」

と答えると

「はぁ~~~っ!」

と長く大きなため息をつきながら

「お前に2個持ってくように言ったよな!」

と突っかかってくる。

 

知らんがな。人の荷物を持ってくなんて発想ねえわ。

と心の中でぼやいていると、

「タクシー降りる前に言っただろ」

と言う。

寝ぼけてて聞き逃してたのかもしれないが、一切そんなことを言われた覚えはなかった。

 

身に覚えはないが、そんなことを言われたら責任を感じてしまう。

「・・・てことは、タクシーを降りたところに置き去りにして来ちゃったってことだろ。ホテルの前なんだからホテルで預かっててくれるだろうから、フロントに聞いてみれば?」

と俺が言うと

「バカかお前。ここをどこだと思ってんだ、日本じゃねえんだぞ、アメリカだぞ。置き忘れた荷物なんか秒で持ってかれるわっ!」

ぶち切れてるというか、拗ねちゃったというか、捨て鉢になってベッドに寝っ転がる友人。

 

「でも、とりあえず聞いてみなきゃわかんねえじゃん。もしかしたら預かってくれてるかもしれないし」

と言うと

「じゃあ、お前が行ってこいよ!どうせもう出てこねえよ!」

と不貞腐れてる。

 

お前の荷物だろーが・・・。

と思うものの、俺に責任があるみたいに言われてるし、今日の買い付けが終わった時の友人の満足気な笑顔を思い出すと、なんとかして取り戻してあげたかった。

 

「じゃあ行ってくるよ・・・」

と部屋から出て行こうとする俺に

「お前、英語しゃべれんのかよ。無理にきまってんだろーが!」

友人は寝たまま起き上がりもしない。

罵声を背中で受け止めながら、とにかくタクシーを降りた場所まで向かった。

 

タクシーの乗降場にはスーツケースらしいものは見当たらない。

ホテルのドアマンなのか、制服を着た人に

「ここに、スーツケースなかった?スーツケース。スーツケース」

ジェスチャーを交えて聞くが、

「さあな、フロントで聞いてみな」

みたいな感じで軽くあしらわれた。

仕方なくフロントへ行き、

「アイ フォゲット スーツケース タクシー、んーと・・・アウト、 ドゥユーノー?」

と俺のありったけの英単語を駆使して、フロントマンに尋ねた。

 

フロントマンは

「???」

の表情だ。

俺は切羽詰まって、同じ単語を何度も何度も繰り返す。

特に「スーツケース」「フォゲット」「タクシー」を重点的に。

しばらくして、フロントマンは向こうへ行けというように後ろを指さした。

うるせえ客だな、あっち行けと追っ払われたのだと思い、しょげ返っていると、そのフロントマンはカウンターから出て来て俺のそばへ来ると、こっちにおいでというようにどこかへ案内してくれた。

 

そこは荷物の保管場所のようなブースで、そこの係員にフロントマンがなにやら伝え、俺に「グッドラック!」と言って笑顔で去って行った。

 

どうやら、まだ望みはゼロではないような気配だ。

俺はその係員にも

「アイ フォゲット スーツケース タクシー アウト」

「アイ フォゲット タクシープレイス、スーツケース」

と向こうが分かってくれるまで同じ英単語を必死で並べ立てた。

 

係員が何か言って来るが、リスニング出来る能力はない。

「アイ キャント スピーク イングリッシュ」

と返し、ひたすら「スーツケース」「スーツケース」と言い続けた。

 

係員は苦笑いを浮かべ、頭をかきながら

「ジャスト ア ミニッツ」

と奥に姿を消し、しばらくしてスーツケースをガラガラと引っ張って来た。

それはまぎれもなく、友人の銀色のスーツケースだった。

 

「あ!あ!それ!それです!」

涙が出そうになりながら、

「サンキュー!サンキュー!サンキューベリーマッチ!」

と繰り返すと

難しい表情で、何やら見せろとジェスチャーして来る。

どうやら本人確認が必要なようだ。

 

「イッツ、ノー マイン マイフレンドのスーツケース」

と答えると

じゃあその友人を呼べ、と言う。

 

とにかくスーツケースを見つけ出せたので一安心し、

フロントから館内電話で

「あったぞ、見つけたぞ。本人確認が必要らしいから早く降りてこい」

と鼻高々で俺の手柄を伝えた。

 

泣いて喜ぶと思ってた友人の反応は

「あっそ。今行く。」

とこれ以上ない素っ気ないものだった。

 

俺よりははるかに英語が喋れる友人は、係員の質問にパスポートを見せたり、スーツケースの鍵の番号を伝えたり、中身の説明をしたりして、無事に返してもらうことが出来た。

 

いよいよ俺にも感謝の言葉があるかと、飼い主からエサをもらう前のワンちゃんのように、満面の笑みで友人の顔を見ながら待っていると

「よくお前の英語で通じたな。さすがアメリカのフロントマンはプロだな」

と、俺ではなくフロントマンを褒め称え、対応してくれたフロントマンを俺から聞き出すとメチャメチャ低姿勢でそのフロントマンに感謝の気持ちを伝えていた。

満面の笑みだった。

そして結局、俺に対する感謝の言葉はなかった。

 

むかついたので、翌日の友人の買い付けには付き合わなかった。

勝手にひとりで買い付けでもなんでも行って来い。そんで買ったモンをまたどっかに置き忘れて来やがれ、である。

俺はこのニューヨークで友人が置き忘れた荷物を、何人もの外人(正確には3人。しかも全員ホテル関係者)に尋ね回り、探し出せた男だ。一人でどこにでも行ってニューヨークを堪能してやる、と思っていた。

 

しかし、である。

考えてみたらニューヨークでしたいことがない。

というか友人にくっついて回るつもりだったので、下調べも何もして来ていない。ガイドブックすら買ってない。

 

仕方なく、ホテル(マディソン・スクエア・ガーデンの目の前だった)の周辺をただただうろうろした。

以前のエッセイにも書いたが、俺は自他ともに認める方向オンチなのでホテルが見えなくなる場所まで離れないよう細心の注意を払ってうろうろした。

ホテルの出入り口にリードで繋がれて、リードが伸びる範囲の中だけをぐるぐる歩いているような気分だった。

 

いいかげん歩き疲れた頃に、入りやすそうなカフェを見つけた。

ニューヨークの街角で一人、カフェでお茶するなんて、めっちゃニューヨーカーっぽいじゃないか!と店に入った。

どうやらレジで注文するスタイルのようだ。

 

昨夜の一件で英語力に自信をつけた俺は、気遅れすることもなくレジにつかつかと進み

「ホットコーヒー Mサイズ プリーズ」

と注文した。

いっぱしのニューヨーカー気取りだった。

しかし、レジの女はアメリカ人お得意の、肩をすくめて首を傾げながら両手を広げて「はぁ?」ってポーズを取るだけ。

 

え?全部英語だろうが。英語だよな?

自信がなくなって頭の中で復唱してみる。

ホットコーヒー、M、サイズ、プリーズ。

まちがいない。全部英語だ。

あ、そうか。数量を言ってないんだ。

「ホットコーヒー。Mサイズ。ワン。プリーズ」

ワンだけ付け加えてもう一度言ってみた。

しかしやっぱりダメだった。

 

そのうち、しびれを切らせたレジの女はこれ以上ない仏頂面で

「メニューを指させ」

とレジに置いてあるメニューをエラソーに指でトントンし、俺は情けなくも指差し注文でやっとホットコーヒーにありつけたのだった。

 

屈辱だった。

昨夜はあんなに活躍した俺の英語が、まさか「ホットコーヒー」ひとつ注文出来ないレベルだとは。

そして俺は悟った。

昨日はホテルマンが、困ってそうなお客さんが切羽詰まった表情で繰り返してるワードを、まるで連想ゲームのようにつなぎ合わせて理解してくれたに過ぎなかったのだ、と。

 

自分の英語力の現実を思い知った俺は、ランチに一人で店に入ることすら出来なくなり、ホテル近くのデリ(日本のコンビニみたいなもの)でファストフードを買って空腹をしのぎ、ホテルの部屋でひたすら友人の帰りを待った。

 

友人が戻って来たときの安堵感ったらなかった。

今このニューヨークで、俺が頼れるのはこの友人ただひとりなのだ。

スーツケースを見つけ出したお礼を言ってくれなかったなんて、小さいことでへそを曲げてる場合ではない。こんな言葉も通じない異国でこの友人に見放されたら俺はひとりで日本へ帰ることすら出来ないだろう。

 

「晩飯でも食いに行くか」

と友人が言ってくれた時は「うん!うん!」と子犬がしっぽを振るように喜んだ。

 

それから帰国までの間に、グラウンド・ゼロ自由の女神(これは遠目から)、タイムズスクエア、ブロードウェイ、ロックフェラーセンター、グランドセントラルターミナル、セントラルパーク、セント・パトリック大聖堂、エンパイア・ステイト・ビルが見えるレストラン、夜のクラブなどなど色々と連れて行ってくれた。

きっとそれが、友人なりの俺への感謝の気持ちだったのだろう。

 

でも、今でもその友人に会うたびに、

「俺がニューヨークでスーツケースを見つけ出したのにお礼のひとつも言わなかった」

といじってやっている。

 

なあに。

日本に帰ってきてしまえば、こっちのもんだ。

 

 

クレーマーへの助言

今、本業の他に勉強していることがあり、以前同じ教室で一緒に学んだ仲間6人で久しぶりに集まることとなった。

待ち合わせは最近スピリチュアル系のテレビやSNSで取り上げられ有名になった某神社。

その日もかなりな混雑ぶりで、改めてメディアの力のすごさを思い知る。

まあ私もその一人なのだから文句は言えないが。

 

参拝が終わり、近くのファミレスに移動した。

総勢6人。平均年齢50オーバーの男3女3。

知らない人から見たら「熟年婚活合コン」と間違えられそうな組み合わせだ。

 

積もる話に花が咲き、ボトルワインも2本目が空きそうな頃、正面に座っていた70代くらいの男性(以下、おじいさん)からいきなり

「お前ら!さっきからうるせえんだよっ!いい加減にしろ!」

と怒鳴りつけられた。

 

見ると顔はプルプルと震え、激怒を通り越して激昂ともいうべき怒りようだ。

「あ、やだ。ごめんなさい」

「ちょっと声が大きかったね」

「気をつけます。。。」

女性陣の3人が口々に謝罪する中、私の隣に座っていた仲間の男性の1人が

「お前の方がうるせえんだよ、ジジイ」

と食ってかかってしまった。

普段は明るいムードメーカー的存在のその人が、こんな一面を持っていた事にも驚いたが、今はそんなことに驚いている場合ではない。

「なんだとコノヤロー!表に出ろ!」

と怒り心頭のおじいさんは立ち上がろうとして、でもフラッとよろけてまた座り込んでしまった。

「おう、表にいこうぜ」

とまだ食ってかかる仲間を

「うちらがいけないんだから」

となだめつつ、おじいさんの様子が気になった。

 

これ以上怒らせたら頭の血管キレちゃうよ・・・

うちらが原因で救急車騒ぎなんて勘弁してよ・・・

万が一のことがあったら目覚めが悪すぎるよ・・・

 

女性陣がさらにおじいさんに謝罪し、なんとかその場は収まったから良かったが、

「気にすることねーよ」

とまだ鼻息の荒いムードメーカー。酒癖の悪い性質だったのか?

 

それからしばらくすると「フンっ!」とうちらを睨みつけながらおじいさんは伝票を手にレジに向かった。

女性陣はおじいさんに背を向けて座っているので気づくこともなく、私以外の男性陣2人はなにやら話し込んでおり、私だけがそのおじいさんを目で見送った。

おじいさんのその背中はなんだかとても小さく、しょぼんとしているように見えた。

 

周りの客の誰一人としておじいさんに援護射撃をしなかったからか。

注意されたのに我々が席を立とうとしなかったから負けたような気分なのか。

大声を出してしまった自分を恥じたからなのか。

 

言わずにいられなかった気持ちと、言った後その場に居づらくなる気持ち。

私はそのとき痛いほどおじいさんの気持ちが理解できた。

なぜなら、つい最近自分も同じような体験をしたばかりだったから。

 

その数日前に電車に乗ったときのことだ。

平日の昼間ということもあり電車は空いていたので、迷わずシート席の端っこに座った。

何度か駅に止まるたびに空席は埋まっていき、やがて立っている人も増えてきた。

自分もそうだが、立つしかない時はドア横の、席との仕切りにもたれかかれる場所に立つ。選べるならば進行方向向きに。

 

その日も自分と仕切り板を挟んだその場所に人が立った。

そして、しばらくして私は頭部に異変を感じた。

 

立っている女性の長い髪の先が、私のハゲ頭を時折そーっと撫でるのだ。

こういうことは初めてではない。たまにあることだ。

なので、しばらくは我慢することにした。

すぐに降りるかもしれないし。

 

その女性の髪は、ポニーテールというより馬のしっぽと表現した方が近い量と束ね方で、それを時々無意識なのか「ブルブルっ」と震わせる。

あの行動はロン毛にしたことのない私には理解できないが、満員電車でも髪の長い女のブルブルはよく見かける。

それがどれだけ真後ろに立っている人にとって、迷惑で不快なものか想像すらしていないのだろう。

 

そして耐えること30分は過ぎた頃、何度目かのプルプルをまたやられた。

その瞬間、ついに私の堪忍袋の緒が切れた。

 

立っているその若い女性の肘辺りをトントンと叩き、

「その髪の毛、前に持ってってくんない?」

と言った。

 

え?と若い女性は「何を言われてるのかわかんなーい」みたいな顔をする。

私は外人か幼い子に話すように、ひとつひとつジェスチャー付きで

その髪の毛、私の頭、ずっと当たってる(ここはツルっと撫でた)、と伝えた。

前に座ってる何人かが「なに?トラブル?」みたいな表情でチラ見して来る。

 

若い女性はようやく理解したのか「ごめんなさい」と言って一歩前に進んで立った。

その馬のしっぽを前に持ってきゃいいだけなのに。

寄りかかるなと文句言ったみたいじゃねえか。

 

女の髪の毛で頭を撫でられる不快さは解消されたものの、車内の居心地は最悪だった。

他の乗客から責められてるような気がしてならないのだ。

 

「あの子、かわいそう・・・」

「自分がハゲてるからって過敏反応なんじゃね?」

「てか、あの子の髪の毛、あの親父のハゲ頭にずっと触れてたんでしょ?ムリ!絶対ムリ!アタシならすぐに帰ってシャンプーするっ!」

そんな心の声が車内に渦巻いているような気がしてならなかった。

 

こっちは被害者なのに、クレームを言った途端に加害者みたいな気にさせられる。

そんな気持ちを、きっとあのファミレスのおじいさんも感じていたんじゃなかろうか。

 

だからクレーマーハゲ親父からクレーマーおじいさんへの助言。

 

おじいさんは悪くないよ。

迷惑かけてたことにも気づかなかった自分達が悪かったんだから。

でも、もうちょっと違う言い方があったかもね。

「クレーム言った後に周囲が自分の味方になってくれるようなクレームを言うのがプロのクレーマーだ」

とテレビで自称プロのクレーマーが自慢気に言ってたし。

お互い、もっと上手にクレームが言えるような「愛されるクレーマー」を目指して、日々精進して参りましょう!

スシ食わねェ!

ごちそうと言えば寿司。

来日した外国人が日本で食べたいものナンバーワンも寿司。

ドラマでも映画でも、

お盆に子どもが帰省してきた日の食卓に並ぶのは桶寿司。

「お父さんに会ってもらいたい人がいるの」と娘が男を連れてくる日も寿司。

 

でも本当に、そんなに寿司が好きな日本人ばかりなんだろうか。

ゴーヤが嫌いな沖縄人もいる。

パクチーが嫌いなタイ人だっているだろう。

そして、寿司が嫌いな日本人がここにいる。

 

寿司が嫌いになったきっかけは今でも覚えている。

子どもの頃のことだ。

 

自分が子どもの頃には、「法事」やら「葬式」やら「なんだかよく分からない親戚の集い」やらが、どうしてあんなに頻繁にあったんだろうと不思議に思うが、毎月のように集まりがあった。

俺の家は本家なので、そのたびに親戚一同が俺の家に集まった。

そういうときのメニューは判で押したように決まっていて、

煮物、具沢山のそば、茶わん蒸し、牛乳干、漬物、そしておばあちゃんの作る寿司だった。

 

近所の魚屋で寿司用に切ってもらったものを、おばあちゃんが握ったシャリの上に乗せるだけの田舎寿司だが、まず酢飯を作るときの匂いがたまらなく嫌だった。

炊き立てご飯にすし酢を混ぜ、団扇で煽りながらしゃもじで万遍なく混ぜるから、家じゅうに酸っぱい匂いが立ち込める。

 

「あー。。。また今日も一日ジジババの相手かぁ。せっかくの日曜なのになぁ・・・」

あの酢飯の匂いは、これからお前を一日軟禁するぞという宣告だった。

 

あの頃は今のように完全週休二日の会社なんてなかったから、集まるのは決まって日曜日。

飲んで食って騒いでいたジジババ達が、夕方近くになってようやく帰ると、夕飯の食卓には残った寿司が当然のように並べられた。

それは毎度のことなので、ため息を押し殺しながら流し込むようにしてしぶしぶ食べた。

寿司なんてうんざりだった。もうしばらく見たくもなかった。

 

そして事件は翌日に起きた。

 

小学校は給食だったから、中学生の頃だったと思う。

長い午前中の授業が終わり、やっと弁当の時間になった。

俺は同じものを毎日食べても飽きない性格だったので、醤油がたっぷりかかった海苔ご飯に卵焼きとウインナー、あとはテキトーというのが定番だった。

なのでその日も、そのつもりで弁当箱のふたを開けてぶったまげた。

 

なんとその日の弁当は、昨日の残りの寿司だったのだ。しかもマグロづくし。

昨日の午前中に作って、昼に客に出して、残った分は家族でまた夕飯に食って、それでもまだ残った寿司だ。「モスト・オブ・残りもの」だ。我が家の残飯処理係なのか俺は!

 

マグロはすっかり色が変わって黒ずんでいた。

しかも、母は醤油を入れ忘れていた。

もともと魚の生臭さが苦手な俺にとって、寿司でも刺身でも醤油でべちゃべちゃにして、「何を食べても醤油の味しかしない」ようにして食べるのが寿司であり刺身だった。

それなのに、鮮度の落ち切った、いかにも生臭そうな黒ずんだマグロを醤油なしで食えと?

 

おそるおそるそのマグロを手に取ってみると、シャリの上の方がマグロの汁を吸って赤く染まっているではないか。

それでも空腹には勝てず、勇気を振り絞って丸ごと口に放り込んでみたが、「オエっ」となって秒で口から吐き出した。

その日の昼飯抜きを悟った瞬間だった。

嘔吐いたからだけでなく涙目になった。

いや泣いてたかもしれない。

 

それっきり寿司が嫌いだ。

「あんまり好きじゃない」からハッキリと「嫌い」に変わった。敵意すら感じた。

 

それでも寿司というヤツは、日本で暮らしている限り、仕事の付き合いやら、冠婚葬祭なんだかんだで日々の生活にしつこく付きまとって来る。

 

食べれらないわけじゃないから出されたら食べるけどね。

でもそれは、

「嫌いなヤツでも挨拶くらいはしますよ、大人ですから」

っていう、しょうがねえな感満載だからな。

みんなにチヤホヤされてるからって

「どうせ僕のこと好きなんでしょ?」

なんてイイ気になってんじゃねえぞ。

みんながみんなお前のこと好きだと思ったら大間違いだからな。

お前なんか、マクドナルドよりもケンタッキーよりも吉野家よりも100円ローソンのだけ弁当よりも格下だからな。

 

なのに、87歳になるすっかり食欲の落ちた母が、

「お寿司なら少しは食べられそう」

ということが増え、週に2回は「かっぱ寿司」やら「はま寿司」やらに連れて行く。

しかし目で見る分には欲しかったが実際に目の前に出されると「食べられない」ということも多く、残した分はもったいないから俺が食べるハメになる。

せっかく俺はうどんや納豆巻きやハンバーグ握りとかで乗り切ってたのに。

そういう時はいつものように、醤油をべちゃべちゃにかけて、そいつらの存在意義をなくしてから食ってやるのだが

「そんなに醤油をかけたら体に悪いよ」

と母にたしなめられる始末。

自分が俺を寿司嫌いにさせた張本人だとも知らずに・・・。

 

それでも、いくらやホタテや中トロを

「美味しい~」

と言って食べる母の笑顔を見ると、こっちも嬉しくなる。

母に優しくしてくれるなら、嫌いなヤツだけど良いとこもあるんだってことは認めてやってもいい。

さよなら、最初で最後の蘇民祭

自分の親しい友人はみな知っていることだが、俺は超ウルトラスーパー方向オンチだ。

まず地図が読めない。

「現在地」と赤い印をつけてくれてないと、自分が今どこに立っているのかを探すだけで疲れてしまうから、最近は地図を見ることもしない。

地図アプリもスマホには入っているが、それを使って目的地に到着できた試しはない。

 

しかも、自分でも不思議に思うが、

「この方向で間違いない」

と思い込んでずんずん歩いてしまう癖がある。

それがほとんどの場合、正反対の方向だったりするから、間違いに気づいて元いた場所に戻るだけで一苦労する。

遅まきながら「そろそろ自分を疑ってみたらどうか?」という気にもなって来ている。

 

2月のこと。

千年の歴史に幕を下ろす、とニュースにもなった蘇民祭に友人に誘ってもらえたので二つ返事で行くことに決めていた。

当日もしも東京駅に着くまでに人身事故とかで電車が止まってしまったら困ると思い、前日から東京に泊まり込んだ。

そのくらいの意気込みだった。

 

東京駅には無事に着き、駅弁とおつまみとどっさりのビールも買い込み、友人に教えられた時間に出発する新幹線に乗り込んだ。

新幹線に乗ったら発車と共にビールを「プシュ!」と開けて1/3くらいゴクゴク飲むのが旅の醍醐味なので、その日も発車とともに意気揚々と飲んだ。

駅弁も平らげ、ビールも3本くらい空けたら襲ってくるのは眠気である。

いつの間にか気持ちよく寝ていたようで、トントンと肩を叩かれ、乗務員の検札で起こされた時はまだ半分夢の中だった。

 

モタモタしながらも切符を差し出すと、

「お客さん、この新幹線は目的地の水沢江刺駅には行きませんよ」

と理解不能なことを言う。

「え?なに?なんで?え?意味わかんないんだけど」

畳みかけるように質問する俺。

「お客様が今ご乗車されてる新幹線は北陸新幹線で、本来お客様が乗車しなければいけなかったのは東北新幹線なんです」

まるでわからんちんの子どもにでも話すような口調で、きっとなにやら絶望的なことを告げている。

 

ちょ、ちょ待てよ!(キムタク風)

北って付いてたらみんな東北に行くんじゃねえのかよ!?

紛らわしすぎるだろっ!

てか北陸ってどこやねんっ!

 

自慢じゃないが、方向オンチの上に地理オンチでもある。

この間なんか一緒に飲んでた友人に

「出身は奈良だよね?」

というと

「違うよ、三重」

と言うので

「ああ、愛知県か」

と返すと

「違うよ、三重県

と言う。

「アホか、日本に三重県なんて県はないだろ」

とツッコむと、周囲が一斉に俺の方を見て

「やながわ、それ本気で言ってんの?」

と心配顔で顔を覗き込まれた。

周囲の反応から見ても、どうやら日本には三重県というものがありそうなので、潔く負けを認めれば良いものを、それだとやられっぱなしみたいでなんだか口惜しくて

「でもさ、日本に三重県って必要なくね?」

と、今考えるととてつもなくひどい負け惜しみを言って、三重出身の友人にとことん嫌われた。

きっとこれを読んだ三重県民の人全員からも嫌われるだろう。

 

話しを新幹線に戻そう。

 

「えー?じゃあ俺はこれからどうやって目的地に行けばいいんですか?」

と乗務員に聞くと、次に停車する長野駅で一旦降りて、大宮まで戻り、東北新幹線に乗り換えるしかないという。

真っ青になってスマホで長野→大宮→水沢江刺と検索したら、到着するのは夕方だった・・・。

13時過ぎに水沢江刺の駅で合流予定のスケジュールなのに。

絶対仲間と合流なんて出来る時間ではない。

その時間には仲間はすでに祭りの中だろう。

自分は誘ってくれた友人に慌ててLINEして現状を伝え、相談した結果「ドタキャン」することとなってしまった。

 

当日キャンセルとなれば旅館も当然キャンセル料が発生するわけで、そのキャンセル料は友人に立て替えておいてもらって後日支払うということになった。

 

そして、この間の土曜日。

なかなかお互いのタイミングが合わず、まだ立て替えてもらった分を返せてないのがずっと気になっていたのだが、その日は新宿で仲間数人と飲むとのことだったので、俺がその店の前まで行って、着いたらLINEするからちょっと抜けて来てもらうという話になった。

 

そしてその店の最寄り駅である新宿御苑前に着いて地上に出てみると、見覚えのある大きな四つ角だった。

「いま新宿御苑前に着いたから、もうすぐ着くよ」とLINEをし、

Tully’sがこの角にあるってことは、ここを左だな。と確信を持ってズンズン歩いていくと何やら様子がおかしくなってきた。どんどん寂しい風景になっていき、しまいには信じられないことに新宿御苑に突き当たってしまった。

 

え?御苑に来ちゃった?なんでだ?

ちょうど配達中のお兄さんがいたので、目的地の方向を聞くと

「この道をずっとまっすぐ行くと着きますよ」

と教えてくれたが、それは今自分がずんずん歩いてきた道だった。

またしても逆方向・・・。

 

着いたよの連絡が遅い事で友人を心配させては悪いと思い、小走りになりながら

「逆方向に歩いちゃったからもう少し時間がかかっちゃう。申し訳ない」

とLINEした。

すると折り返しLINE電話がかかってきた。

「やながわ、いまどこ?」

「ごめん、ごめん、すぐに着くから」

「いいから。いま周りに何が見える?」

Tully’sウェンディーズと、その先に餃子屋がある」

と伝えると、

「分かった。そこ動かないで。今から俺がそこに行くから」

と言う。

とんでもない、そんな迷惑かけられないと言うと

「動かれる方が迷惑だから」

と、にべもない。

ド田舎から上京して来たおじいちゃんか、俺は・・・。

 

結局、その場所で友人を待ち、無事に落ち合えた。

立て替えてもらったお金を払い、

「ごめんね、抜けて来てもらった上にこんなに歩かせちゃって。」

と何度も謝り、じゃあまたと帰ろうとする俺に、

「俺も途中まで一緒に行くよ」

と、絶対に俺が迷わずに新宿駅まで帰れる場所までついて来てくれた。

 

しかも歩きながら

「ごめんね、俺が気が利かなかった。やながわが方向オンチだってわかってたのに。新幹線に乗る前にちゃんと確認してあげれば良かったんだよね。キャンセル料も旅館に頑張って交渉したんだけど、力及ばずで結局払うことになっちゃって・・・」

なんて言って来るではないか。

なんて良いヤツなんだ~(涙)

俺がダメダメなだけなのに。

ただ、若干バカにされてるような気がしないでもないが。。。

 

ちなみに乗り間違えた新幹線代だが、長野で降りてそのままUターンして東京に戻り自動改札機に入れたらハネられてしまい、窓口に行って事情を話したら、手数料は取られたがなんと全額返金してくれた。

ビール飲んで、駅弁食って、昼寝も出来て、旅行気分も味わえて、それが数百円で体験できるなんてなかなか出来ることじゃない。

それも蘇民祭に行こうとしたから体験出来たことだ。

 

俺の最初で最後の蘇民祭は「北陸新幹線 東京⇔長野 数百円の旅」を経て、友人に旅館のキャンセル料を支払ったことで、無事に幕を閉じた。