こう見えてニューヨークに行ったことがある。
セレクトショップを経営している友人が買い付けに行く日程に合わせて、俺も同行させてもらう形での旅行だった。
ジョン・F・ケネディ国際空港に着くやいなや、友人は迷いもなくタクシーに乗り込み、行きつけのショップに直行。
同じデザインのTシャツをいろんなサイズでどっさり買い込む。それも何種類も。
自分が良いと思ったものは迷いもなくカートに入れていく。
自分のセンスに自信がなければ出来ない仕事だなぁと感心しながら見ていたら、
ショップの店員から
「こんなに買われちゃ困る。もう少し減らしてくれ」
みたいなことを言われた友人。
しぶしぶ枚数を減らすフリをしながら
「お金渡すから、お前がこの分買ってくれ」
とこっそり渡された。
そんな作戦がまかり通ったのか、バレバレで売ってもらえなかったのか、その辺の事は覚えていない。自分に関係のないことは片っ端から忘れる性質の俺だ。
その後も何軒ものショップをはしごして、ほぼ空っぽだった友人のスーツケース2個は買い付けた商品でパンパン。
「もう入らないからお前のスーツケースにも入れてくれ」
と言われ、俺のスーツケースにも詰め込んだので、3つの大型スーツケースが、満杯で蓋を閉めるのがやっと、というくらいに買い込んだ。
ようやく初日の買い出しが終わりタクシーでホテルに向かう頃には、俺はもう疲れ切っていた。
もともと洋服にさほど興味のない俺にとって、苦行のような時間がやっと終わったという安堵感と長旅の疲れで、景色を楽しむこともなく心地よく揺れる車内でただただ眠りこけていた。
「おい、着いたぞ」
という友人の声で起こされた。
もうホテルに着いたようだ。
眠い目をこすりながら、タクシーのトランクに積んだ自分のスーツケースとリュックを持って、フロントに向かった。
チェックインを済ませ部屋に入ると、各々のベッドを決めて、ベッドにダイブした。
あ~~~
糊がパリっときいた清潔なシーツとちょっと固めのスプリングがたまらない。
思い切り伸びをして大きくあくびをすると、さっきの睡魔が再び襲ってくる。
「ちょっと休もうぜ」
と二人ともそのまま眠りに落ちた。
ガサゴソという音で目が覚めた。
「ん?いま何時?」
と目をこすりながら友人に聞くと
「おい、俺のスーツケースどこにやった?」
と切羽詰まった声。
「そこにあるじゃん」
と指さすと、
「もう一つの方だよ」
と言う。
「お前、ちゃんとスーツケース2個持ってきたか?」
と言うので
「え?俺は自分の分しか持ってきてねえよ」
と答えると
「はぁ~~~っ!」
と長く大きなため息をつきながら
「お前に2個持ってくように言ったよな!」
と突っかかってくる。
知らんがな。人の荷物を持ってくなんて発想ねえわ。
と心の中でぼやいていると、
「タクシー降りる前に言っただろ」
と言う。
寝ぼけてて聞き逃してたのかもしれないが、一切そんなことを言われた覚えはなかった。
身に覚えはないが、そんなことを言われたら責任を感じてしまう。
「・・・てことは、タクシーを降りたところに置き去りにして来ちゃったってことだろ。ホテルの前なんだからホテルで預かっててくれるだろうから、フロントに聞いてみれば?」
と俺が言うと
「バカかお前。ここをどこだと思ってんだ、日本じゃねえんだぞ、アメリカだぞ。置き忘れた荷物なんか秒で持ってかれるわっ!」
ぶち切れてるというか、拗ねちゃったというか、捨て鉢になってベッドに寝っ転がる友人。
「でも、とりあえず聞いてみなきゃわかんねえじゃん。もしかしたら預かってくれてるかもしれないし」
と言うと
「じゃあ、お前が行ってこいよ!どうせもう出てこねえよ!」
と不貞腐れてる。
お前の荷物だろーが・・・。
と思うものの、俺に責任があるみたいに言われてるし、今日の買い付けが終わった時の友人の満足気な笑顔を思い出すと、なんとかして取り戻してあげたかった。
「じゃあ行ってくるよ・・・」
と部屋から出て行こうとする俺に
「お前、英語しゃべれんのかよ。無理にきまってんだろーが!」
友人は寝たまま起き上がりもしない。
罵声を背中で受け止めながら、とにかくタクシーを降りた場所まで向かった。
タクシーの乗降場にはスーツケースらしいものは見当たらない。
ホテルのドアマンなのか、制服を着た人に
「ここに、スーツケースなかった?スーツケース。スーツケース」
とジェスチャーを交えて聞くが、
「さあな、フロントで聞いてみな」
みたいな感じで軽くあしらわれた。
仕方なくフロントへ行き、
「アイ フォゲット スーツケース タクシー、んーと・・・アウト、 ドゥユーノー?」
と俺のありったけの英単語を駆使して、フロントマンに尋ねた。
フロントマンは
「???」
の表情だ。
俺は切羽詰まって、同じ単語を何度も何度も繰り返す。
特に「スーツケース」「フォゲット」「タクシー」を重点的に。
しばらくして、フロントマンは向こうへ行けというように後ろを指さした。
うるせえ客だな、あっち行けと追っ払われたのだと思い、しょげ返っていると、そのフロントマンはカウンターから出て来て俺のそばへ来ると、こっちにおいでというようにどこかへ案内してくれた。
そこは荷物の保管場所のようなブースで、そこの係員にフロントマンがなにやら伝え、俺に「グッドラック!」と言って笑顔で去って行った。
どうやら、まだ望みはゼロではないような気配だ。
俺はその係員にも
「アイ フォゲット スーツケース タクシー アウト」
「アイ フォゲット タクシープレイス、スーツケース」
と向こうが分かってくれるまで同じ英単語を必死で並べ立てた。
係員が何か言って来るが、リスニング出来る能力はない。
「アイ キャント スピーク イングリッシュ」
と返し、ひたすら「スーツケース」「スーツケース」と言い続けた。
係員は苦笑いを浮かべ、頭をかきながら
「ジャスト ア ミニッツ」
と奥に姿を消し、しばらくしてスーツケースをガラガラと引っ張って来た。
それはまぎれもなく、友人の銀色のスーツケースだった。
「あ!あ!それ!それです!」
涙が出そうになりながら、
「サンキュー!サンキュー!サンキューベリーマッチ!」
と繰り返すと
難しい表情で、何やら見せろとジェスチャーして来る。
どうやら本人確認が必要なようだ。
「イッツ、ノー マイン マイフレンドのスーツケース」
と答えると
じゃあその友人を呼べ、と言う。
とにかくスーツケースを見つけ出せたので一安心し、
フロントから館内電話で
「あったぞ、見つけたぞ。本人確認が必要らしいから早く降りてこい」
と鼻高々で俺の手柄を伝えた。
泣いて喜ぶと思ってた友人の反応は
「あっそ。今行く。」
とこれ以上ない素っ気ないものだった。
俺よりははるかに英語が喋れる友人は、係員の質問にパスポートを見せたり、スーツケースの鍵の番号を伝えたり、中身の説明をしたりして、無事に返してもらうことが出来た。
いよいよ俺にも感謝の言葉があるかと、飼い主からエサをもらう前のワンちゃんのように、満面の笑みで友人の顔を見ながら待っていると
「よくお前の英語で通じたな。さすがアメリカのフロントマンはプロだな」
と、俺ではなくフロントマンを褒め称え、対応してくれたフロントマンを俺から聞き出すとメチャメチャ低姿勢でそのフロントマンに感謝の気持ちを伝えていた。
満面の笑みだった。
そして結局、俺に対する感謝の言葉はなかった。
むかついたので、翌日の友人の買い付けには付き合わなかった。
勝手にひとりで買い付けでもなんでも行って来い。そんで買ったモンをまたどっかに置き忘れて来やがれ、である。
俺はこのニューヨークで友人が置き忘れた荷物を、何人もの外人(正確には3人。しかも全員ホテル関係者)に尋ね回り、探し出せた男だ。一人でどこにでも行ってニューヨークを堪能してやる、と思っていた。
しかし、である。
考えてみたらニューヨークでしたいことがない。
というか友人にくっついて回るつもりだったので、下調べも何もして来ていない。ガイドブックすら買ってない。
仕方なく、ホテル(マディソン・スクエア・ガーデンの目の前だった)の周辺をただただうろうろした。
以前のエッセイにも書いたが、俺は自他ともに認める方向オンチなのでホテルが見えなくなる場所まで離れないよう細心の注意を払ってうろうろした。
ホテルの出入り口にリードで繋がれて、リードが伸びる範囲の中だけをぐるぐる歩いているような気分だった。
いいかげん歩き疲れた頃に、入りやすそうなカフェを見つけた。
ニューヨークの街角で一人、カフェでお茶するなんて、めっちゃニューヨーカーっぽいじゃないか!と店に入った。
どうやらレジで注文するスタイルのようだ。
昨夜の一件で英語力に自信をつけた俺は、気遅れすることもなくレジにつかつかと進み
「ホットコーヒー Mサイズ プリーズ」
と注文した。
いっぱしのニューヨーカー気取りだった。
しかし、レジの女はアメリカ人お得意の、肩をすくめて首を傾げながら両手を広げて「はぁ?」ってポーズを取るだけ。
え?全部英語だろうが。英語だよな?
自信がなくなって頭の中で復唱してみる。
ホットコーヒー、M、サイズ、プリーズ。
まちがいない。全部英語だ。
あ、そうか。数量を言ってないんだ。
「ホットコーヒー。Mサイズ。ワン。プリーズ」
ワンだけ付け加えてもう一度言ってみた。
しかしやっぱりダメだった。
そのうち、しびれを切らせたレジの女はこれ以上ない仏頂面で
「メニューを指させ」
とレジに置いてあるメニューをエラソーに指でトントンし、俺は情けなくも指差し注文でやっとホットコーヒーにありつけたのだった。
屈辱だった。
昨夜はあんなに活躍した俺の英語が、まさか「ホットコーヒー」ひとつ注文出来ないレベルだとは。
そして俺は悟った。
昨日はホテルマンが、困ってそうなお客さんが切羽詰まった表情で繰り返してるワードを、まるで連想ゲームのようにつなぎ合わせて理解してくれたに過ぎなかったのだ、と。
自分の英語力の現実を思い知った俺は、ランチに一人で店に入ることすら出来なくなり、ホテル近くのデリ(日本のコンビニみたいなもの)でファストフードを買って空腹をしのぎ、ホテルの部屋でひたすら友人の帰りを待った。
友人が戻って来たときの安堵感ったらなかった。
今このニューヨークで、俺が頼れるのはこの友人ただひとりなのだ。
スーツケースを見つけ出したお礼を言ってくれなかったなんて、小さいことでへそを曲げてる場合ではない。こんな言葉も通じない異国でこの友人に見放されたら俺はひとりで日本へ帰ることすら出来ないだろう。
「晩飯でも食いに行くか」
と友人が言ってくれた時は「うん!うん!」と子犬がしっぽを振るように喜んだ。
それから帰国までの間に、グラウンド・ゼロや自由の女神(これは遠目から)、タイムズスクエア、ブロードウェイ、ロックフェラーセンター、グランドセントラルターミナル、セントラルパーク、セント・パトリック大聖堂、エンパイア・ステイト・ビルが見えるレストラン、夜のクラブなどなど色々と連れて行ってくれた。
きっとそれが、友人なりの俺への感謝の気持ちだったのだろう。
でも、今でもその友人に会うたびに、
「俺がニューヨークでスーツケースを見つけ出したのにお礼のひとつも言わなかった」
といじってやっている。
なあに。
日本に帰ってきてしまえば、こっちのもんだ。